2014年05月15日

愛の本質とは。


すべてのグループソウルは自分である。だからこそ自分を愛し成長を望む。これが神の自己愛と呼ぶ理由です。つまり神自身が自分の成長を愛すること、これが愛の本質です。しかし時にはだれもが自分自身を愛する自己愛なんて嫌なもの悪い者と考えてしまいます。神は万物を愛するかもしれませんが、自分だけは例外だと思う人もいます。さらに神は完璧な存在であると捉える人もいます。そういった人には、神の自己愛というのはなかなか理解できないかもしれません。しかしここではっきりと申し上げます。スピリチュアリズムの視点からいうと神という存在は完璧ではありません。なぜなら私たち自身が神の分霊だからです。

この世にある木も石も動物もそして他者という人間もすべては同じ神からうまれたスピリットである。これを理解しなければ森羅万象を愛せることはできません。つまり本当の意味であなたが幸せになるために必要なカルマの法則を実行することはできないのです。

神はより向上を目指すからこそ、自分の分霊をふくめた自分自身を愛し成長を望みながらその自己愛に生きることを説明しました。これは難しいことかもしれませんが、現世における愛と照らしあわせればより深く理解できるのではないでしょうか。

人は神であり、神は人と同じように自分を愛する存在です。しかし神の愛と現世での人の愛はちょっと違います。現世での自分とは肉体に包まれた自分。この肉体の中にある自我を神の自我である大我に対して小我と呼びます。小我とは自分の欲求や肉体の欲望だけをみたす、いわゆる物質的な自己愛のことです。これを現世では利己主義とか自己中心主義と呼びます。これが人間の通常の愛です。なぜ人間は神なのに小我の自己しか愛さないのでしょうか。本来スピリチュアルワールドにおいては神我の方が輝いているのに対し、現世の魂は肉体に包まれるがために未熟な小我が浮き出てしまうのです。まさに現世は自らの小我を見つめる場でもあるのです。

小我に生きる人は不幸の数を数えます。大我に生きる人は感謝の数を数えます。さて、あなたはどちらですか?自分のこころにそのことを問いかける。つまり内観すれば大我に生きているのか、小我に生きているのかおのずとわかってきます。ではなぜ人間は最初から大我の愛をもって生きられないのでしょうか。その答えは自分自身で気付くということが私たちに必要だからです。自分で気付くというのは確信になります。それが本当の理解につながり感動に変わります。私たちは現世で感動と経験を積むために生まれてきた存在です。そういった感動を得るために私たちは不自由な思いをしながらこの現世に生きているのです。


posted by すみれ at 19:49| Comment(0) | スピリチュアル | 更新情報をチェックする
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