2014年07月27日

安陪晴明の術にやぶれた、道魔法師(どうまほうし)

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安陪晴明(あべのせいめい)と呪術の腕をきそった話も多く伝えられている。彼の名前が世に多く知られていくにつれて、晴明を負かすことができれば、上流貴族にとり入れて出世しようとする野心家が続出してきたのだ。

歌舞伎の世界では、安陪晴明(あべのせいめい)は人気者である。彼は、道魔法師(どうまほうし)またの名を蘆屋道満(あしやどうまん)という悪い呪術師を痛快にやっつけている。

道魔法師は、密教の呪術を身に着け、呪い(のろい)を物にのせることによって人を殺すというワザがあった。そこで、彼は、右大臣を務める藤原顕光(すがわらあきみつ)という権力者に近づいた。そして、「左大臣の藤原道長(ふじわらみちなが)さえいなくなれば、あなたを左大臣にすすめます。」とたたきつけた。そのため、顕光は道長を呪殺(じゅさつ)してくれと道魔法師に依頼した。このころ道長は、名高い安陪晴明に身辺を守らせていた。さまざまな呪術を使って道長をねらう者が多かったからだ。

しかし、道魔法師は、自分の呪術は晴明をはるかに上回るものだと主張し、自信たっぷりであった。彼は、朝廷の儀式のときに左大臣が通る道に呪物を埋めておいた。どころが道長が道魔法師のワナに近づくと、晴明が危険を感じ、道長のお供の者に晴明が指摘した場所を掘らせた。すると、恐ろしげな呪物が出てきた。役人たちの調べによって、それは道魔法師が埋めたものだとわかり、道魔法師は重い罰をうけた。

藤原顕光は、その呪術は法師が勝手にやったことだと言い張り、彼はなんのおとがめもうけずにすんだ。



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2014年07月26日

式神使いの安陪晴明(あべのせいめい)

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陰陽道(おんみょうどう)をひらいたのは、賀茂忠行(かものただゆき)、その弟子には安陪晴明(あべのせいめい)というすぐれた弟子がいた。陰陽道は、晴明によって発展したのだった。

安陪晴明が忠行のもとに弟子入りして間もないころ。忠行が夜おそくに牛車で出かけたとき、晴明が徒歩でお供をつとめた。ところが、途中で晴明は牛舎の前に鬼たちが近づいてくるのに気づいた。そのとき忠行は眠り込んでいたので、晴明がただちに師匠を起こし、二人は隠形の法で姿をかくし、助かることができたという。

そのころ、ふつうの人は鬼神の姿が見えないので、知らずに知らずに鬼神にふれて病気になるといわれていた。この事件以来、賀茂忠行は安陪晴明を実の子同様にかわいがり、自分の秘伝をすべて授けた。

当時の文献では、安陪晴明が式神という見えない鬼を自由に操っていたと伝えられている。晴明が式神に命じると、雨戸が上下に動いたり、門が開閉されたりした。

寛朝(かんちょう)という僧が、ある日、安陪晴明を自分の家に招き、晴明の力を試してやろうと考えた。そこでみなの前で、「お前の式神を使って人を殺すことができるのか?」と晴明にたずねた。

すると晴明は、「それはわけないことだが、人を殺すことはできないので庭にいるカエルを退治してみせましょう。」と答えた。そして、草の葉をとって、それに何かを語りかけた。呪文をつけた葉を投げると、そのカエルはひっくり返り死んだという。当時の人たちは、強い呪力を持った晴明を恐れた。

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